牛込払方町教会「創世記を学ぶ会」のまとめです
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創世記には何が書かれているのか
第1回 天地創造 ― 世界は「極めて良い」とされた
創世記は聖書の最初の書であり、世界の始まり、人間の存在、罪、そして神の救いの計画の始まりを語る書です。
この第1回では、創世記1章1節~2章4節前半を取り上げ、天地創造の物語が私たちに何を語っているのかを考えます。
天地創造物語は何を語っているのか
創世記1章は、科学的に宇宙や生命の起源を説明することを目的とした文章ではありません。
この物語は、国を失い、神殿を失い、希望を見失っていたイスラエルの民によって読み継がれ、バビロン捕囚の時代に現在の形にまとめられたと考えられています。そのような絶望の時代に、「世界は神によって創造され、『極めて良い』とされた世界である」と宣言する信仰告白なのです。
冒頭の「初めに、神は天地を創造された」という言葉は、この世界のすべてが神の御心とご計画の中にあることを示しています。当時、人々が神々として崇拝していた太陽や月も、神によって造られた被造物にすぎないことが語られています。
人間は神に似せて造られた
創世記は、人間だけが「神のかたちに」「神に似せて」造られたと語ります。
ここに人間の尊厳の根拠があります。人間の価値は、能力や地位、成功によって決まるのではありません。神に愛され、神との交わりの中に生きる者として造られたことにあります。
創造の最後に神は、「見よ、それは極めて良かった」と宣言されます。この言葉は、人間を含めた創造全体に対する神の喜びと愛を表しています。
安息日の意味
天地創造の物語は、人間の創造で終わるのではありません。
第七の日、神は仕事を終えて安息され、その日を祝福し、聖なる日とされました。天地創造は、神の安息によって完成します。
新約聖書において主イエスは、「安息日は、人のために定められた」(マルコ2章27節)と語り、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませる」(マタイ11章28節)と招かれます。
私たちは自分の力だけでは本当の安らぎを得ることはできません。主イエス・キリストにあってこそ、真の安息が与えられることを聖書は教えています。
私たちは偶然に生きているのではない
創世記1章は、「私たちはなぜ存在しているのか」という問いにも答えています。
この世界は偶然に存在しているのではなく、神の愛とご計画によって存在しています。そして、私たち一人ひとりもまた、神に愛され、大切な存在として造られました。
天地創造の物語は、神がこの世界を造られたことだけを語るのではありません。神が今もこの世界を支え、私たち一人ひとりを愛し、祝福しようとしておられることを語っています。
創世記の最初のページは、絶望の中にあってもなお、「世界は極めて良い」と宣言する希望のメッセージとして、今日を生きる私たちにも語りかけています。


